松平城
Matsudaira Castle, Japan


登城日:
2010. 1. 25







【松平城概要】


松平城は現在の豊田市南東部にある松平郷にある山城です。
松平郷は、徳川家康を生んだ松平氏発祥の地です。

松平氏は、時宗の遊行僧・徳阿弥が諸国を流浪中に
この松平郷に入り、 土豪の在原信重の婿となって
松平親氏を名乗ったのが始まりといわれています。

この松平城は、松平氏祖の親氏が
応永年間(1394〜1427年)に築いたとされています。




松平氏は二代・泰親(親氏の弟)が岩津に進出し、
その後西三河を治める豪族へと発展しています。

この松平郷には親氏次男・信弘が残り、
松平郷松平氏となり、その子孫は江戸時代も
交替寄合旗本として442石の所領を得ていたようです。

松平城は、戦国時代も末期、文禄年代(1592年〜1595年)と
言われているようですが、はっきりとはわかっていないようです。


松平城は、国道301号線から松平郷へ向かう
手前右側の標高298mの山にあります。

松平郷の様子はこちらです。




松平城の縄張りは、山頂に本丸(主郭)が配置され、
本丸の西北に細長い二の丸(曲輪2)があります。
その西下には三の丸(曲輪3と4)が配置されています。



【松平城へのアクセス】


名古屋鉄道三河線豊田市東口乗り場から
名鉄バス大沼行で松平郷下車。
所用時間約30分。

運転本数は二時間に1本です(2014年現在)。


松平郷から徒歩約10分です。

バスの時刻はこちらから検索可能です。



松平郷の訪問記はこちらです。
名古屋鉄道三河線の乗車記はこちらです。




【松平城登城記】




登城口から二の丸・本丸へ


松平城へは、国道301号線の松平郷の
入り口から左手に折れて進みます。

城址に向かう手前で、土塁に
囲われた大きな屋敷がありました。



当時からこの位置に屋敷があったのかどうか判りませんが、
なんとなく根古屋はこんな感じだったのかと思わせます。

この先に、松平城への登城口がありました。



周辺は三河の山々が続いています。
松平氏の屋敷があった松平郷は
この左手の山の向こう側にあります。

この登城口には松平氏遺跡の石碑もありました。



松平郷、大給城を含め、松平城も
国の史跡として指定されています。

松平郷の様子はこちらです。
大給城の登城記はこちらです。


登城口から木々の間の緩やかな坂道を
上りしばらく歩くと、T字路に突き当たります。



ここを右手に折れると三の丸の曲輪4に、
左手に折れると本郭へと繋がります。
ここを左に折れ、まずは本郭を目指しました。

ここからは急坂になりました。



5分も歩かないうちに虎口が現れました。



この虎口の手前には三の丸の
曲輪3に向かう道が分岐しています。

虎口を過ぎると、細長い二の丸です。



曲輪の中央に、散策路が続いています。
道の両側には木々と藪となっています。



この藪に入ってまでの探索はしませんでしたが
曲輪の端には土塁とか残っているのでしょうか。


この二の丸を抜けたところに再び急坂がありました。



短い坂道を上ったところの虎口です。
これが本丸虎口で、その先に標高298mの
お城山の頂上に本丸の郭が広がっています。



本丸は50m四方程度の広さでしょうか。
本丸のあちこちに大きな岩があり
そのうちの一つに城址碑がありました。



本丸にあった大きな岩の様子です。



当時はこの本丸にはいくつかの建物があったと思います。
これらの岩の上にも建物が建っていたのでしょうか。




三の丸とその周辺


本丸(曲輪1)を訪れた後、次には
三の丸の曲輪3を目指しました。



二の丸(曲輪2)まで戻り、
虎口を抜けたところで左に折れます。

木々の間の緩やかな下り坂を進むと
道幅が広がり、ここが曲輪3の様です。



縄張り図ではこの曲輪3も二つに分かれている
ようですが、それには気が付きませんでした。

この曲輪3の先は一段低いところに
平削地があり、ここが曲輪4です。



曲輪3から下った所には祠もありました。
曲輪4は松平城の一番低いところにあります。
曲輪3と曲輪4を合わせて
三の丸を形成しているようです。

祠の前に曲輪4の平削地が続いています。



この曲輪4を散策していると
大きな山桃の木がありました。



この先、曲輪の西の端は少し小高くなっており
櫓台の案内標識が建っていました。



松平城が廃城になったのは、関ヶ原の
合戦の数年前と言われているようです。
その時期、この片田舎の山城に
どんな櫓が建っていたのでしょうか。


この後、曲輪2の下にある井戸跡を訪れました。
曲輪4からは、山城の裾を移動します。



その途中の道は、空堀の様になっていました。



人の背丈ほどの深さがありました。
所々、竹林になっているところを抜けていくと
松平城の井戸跡がありました。



今も水が湧いているかどうか、
草が生い茂っていてよく判りませんでした。


これで松平城の散策は終了です。
後に徳川家康を輩出した松平氏の初めての
お城という事で、国の史跡にもなっている古城ですが、
その規模は比較的小さく、地味なお城でした。

松平親氏がこの城を築いた頃には本格的な戦国の世ではなく、
松平氏が今川氏や織田氏と三河の地を懸けて戦っていた頃には
その本拠地は三河平野の岩津城や安祥城に進出していたので
この松平城は、歴史の荒波には揉まれなかったようにも思います。

岩津城の登城記は
こちらです。
安祥城の登城記はこちらです。


松平城を訪れた後、国道301号線に出て
松平城の城山を遠望してみました。



松平城の山々の背後に松平郷があります。
その位置関係からは松平郷を守る
目的で築かれたようにも思います。



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