岡崎の中心部から南に向かい、JR岡崎駅を経て
更に2km程南に行くとまとまった集落があります。
この集落は今では福岡町という町名ですが
江戸時代には土呂御坊という一向宗の拠点になった
東西約1km、南北に800mもの広さを持つ集落がありました。
ここから参道が延びています。
参道を歩いていくうちに、JR東海道本線の
電車が横切っていくのが見えました。
社殿から南へと伸びる参道の途中に
JR東海道本線の線路が横切り
参拝するには、踏み切りを
渡らなければなりません。
特別快速電車が駆け抜けていきました。
この踏切を渡ると
上地八幡宮の境内に入ります。
境内はそれ程広くはなく
数段の石段を登って境内に上がると
拝殿がすぐ近くに見えていました。
古式に則り、拝殿に向かって右側には左近の桜、
左には右近の橘が植えられています。
ちょっと紛らわしいのですが、
この上地八幡宮では、左近の桜に
鬱金桜(うこんざくら)という種類の
桜が植えられています。
4月半ば、この鬱金桜が
綺麗に咲いていました。
拝殿の後ろに桧皮葺の
古めかしい本殿がありました。
岡崎市で最も古い神社の建物で
国の重要文化財に指定されているそうです。
源範頼によって創建された上地八幡宮。
鎌倉時代にはその境内の近くに、
鎌倉街道も走っていたそうです。
今は鎌倉街道の跡も残っていませんが
何気ない八幡宮にも古い歴史が
宿っていました。
門を抜けると、大久保彦左衛門の一族が
寄進したと伝わる本堂がありました。
1719年(享保4年)に建てられたそうです。
この願成寺には日本最大とされる
日蓮上人の石像があります。
石像が出来たのは1959年(昭和34年)と比較的
新しいですが、石像の高さは7mもあるそうです。
花崗岩を多く産し、石材加工で知られる
岡崎ならではの日本最大の石像だと思います。
案内板によると奈良時代末期から平安時代初期に
創立された古い歴史を持つ八幡宮です。
15世紀半ばの応仁年間に蓮如上人が
この近くに本宗寺を建て三河一揆の
拠点のひとつになったそうです。
土呂八幡宮の地図はこちらです。
この二の鳥居の後ろは木々が生い茂っていて
二の鳥居をくぐり、木々の間を抜けていくと
石段を下っていきます。
拝殿や本殿に向かうのに
低い位置に向かう神社というのは
珍しいような気がします。
一段低い窪地の様な境内に降りると
拝殿が見えてきました。
拝殿の前は空き地になっていて
子供たちの遊び場になっているようでした。
質素な造りの拝殿です。
一向一揆の際に、この土呂八幡宮は戦火に遭い、
本宗寺とともに焼失してしまったそうです。
徳川家康は家臣の石川数正に命じ、
土呂八幡宮の再建を行ったようです。
この拝殿の奥には、1619年(元和5年)に建てられ、
国の重要文化財に指定された桧皮葺の
古風な本殿があるそうです。
二の鳥居の手前右手には
土呂天神の小さな社がありました。
そして秋葉社・稲荷社の
赤い鳥居が続いていました。
この土呂八幡宮の一の鳥居のところに、
土呂御坊(旧・本宗寺)の碑がありました。
往時の本宗寺の寺域は東西十町(約1km)、
南北八町(約800m)もの広さに及び、
この寺域に、1,000軒もの人家が建つ
治外法権の宗教都市が出来ていたそうです。