徳川家康の正室・築山御前の首塚のある
祐傳寺から南に向かい国道一号線に出て
東に約500m程行った辺りから
住宅街を南に向かうと若宮八幡宮があります。
若宮八幡宮の地図はこちらです。
仁徳天皇を祀るこの神社は
いつ創建されたのかの、
記録は残っていないそうです。
住宅地の奥に石段があり、
それを上ると本殿が見えてきました。
この若宮八幡宮には1579年(天正7年)、
21歳の若さで自害した岡崎信康公の
首塚がありました。
信康は織田信長の娘・徳姫を正室に迎えていたのですが、
信康の母で、家康の正室・築山御前との折り合いが悪く、
信康と築山御前が武田方に内通している等、
十二か条に亘る訴状を出したそうです。
それを元に信長が家康に、
二人の殺害を命じたとされています。
遠江二俣城で、自害した信康ですが
その死の経緯は異論も多いようです。
信長が岡崎信康の力量を恐れた為とか、
その一方ではこの時期の信長は
京で能や相撲見物に明け暮れ、
逼迫した状況でもなかった事から
家康が自ら殺害を命じたという説もあります。
当時浜松城にいた家康と、岡崎城主だった
信康との間の家臣団の確執説や
信康の粗暴な性格・行動が
原因だったという説もあるそうです。
信康の死後、岡崎城では色々な怪奇現象が生じ
信康の祟りと畏れられ、この若宮八幡宮に
祀られる事になったようです。
信康と共に殺害された、家康の正室、
築山御前の首塚に比べると信康は
しっかり葬られていました。