八柱神社は岡崎の中心街の北ある
丘陵地帯の東にある神社です。
八柱神社の地図はこちらです。
鳥居の奥に参道が続き、
向こうに石段が見えていました。
近所の人が何人か、境内で佇んでいましたが
観光客などいない、静かな神社です。
鈴木氏の氏神だった八柱神社は、
その後、この周囲の欠町の鎮守として
この近辺の人たちに敬われてきた神社と思います。
どこにでもある普通の神社に思える八柱神社には
徳川家康公の正室だった築山御前の塚があります。
徳川家康が今川家の人質だった頃に
今川氏の家臣だった関口義広の娘を正室に迎えました。
この方が築山御前です。
家康と築山御前との間には、
長男・岡崎信康が生まれています。
しかし桶狭間の戦いの後に、家康が今川方と袂を別れた為、
築山御前の両親は、今川氏真に自害させられてしまい、
築山御前も岡崎城には入れなかったそうです。
その後成人した信康は、織田信長の娘、
徳姫を正室に迎えるのですが、
徳姫が、信康と築山御前に謀反の疑いが
あるとの書状を父・信長に送った為、
信長の意に従い、家康は正室を殺害し、
長男・信康は遠江二俣城で自害させられた
という事になっています。
1579年(天正7年)の事です。
八柱神社にある築山御前の首塚です。
築山御前の首は、織田家に実検の為に送られた後、
石川数正によって祐傳寺に葬られ、その後、
この八柱神社に改葬されたそうです。
信長の死後、築山御前を手厚く葬る事も
可能だった筈ですがそれをしていない家康。
八柱神社には、信長によって正室や長男を殺害させられた
家康の心中は如何ばかりか、と記されていますが、
粗末な塚を見ると、家康は自らの意思で
築山御前を殺害したという思いが強くなりました。