わが街 岡崎 / 本宗寺
Honshu Ji Temple
in my Hometown Okazaki

名鉄名古屋本線の美合駅からほど近い所に本宗寺があります。
本宗寺は1486年(文明18年)に蓮如上人によって
創建された浄土真宗のお寺です。

名鉄名古屋本線の乗車記はこちらです。

本宗寺は、元々岡崎市南部の土呂にありました。
土呂で栄えたお寺だったようで、家康が三河統一の途中で
発生した三河一向一揆の際、拠点の一つになったそうです。

岡崎・土呂の様子はこちらです。

1567年(永禄7年)に三河一向一揆が終結すると、
本宗寺は家康によって壊されます。

その後、家康の叔母にあたる芳春院妙西尼の尽力で
再興が叶い、1583年(天正11年)に赦免が許され、
1613年(慶長16年)に現在地に移転されたそうです。

名鉄の美合駅から西に向かうと、
綺麗な築地塀が見えてきました。


撮影: 2011年7月

ここが本宗寺になります。
立派な築地塀で囲われ、京都のお寺の様です。

門も立派ですが、奥には江戸時代からの
ものと思われる長屋門もありました。


撮影: 2011年7月

本宗寺の境内の様子です。
鉄筋コンクリート製の本堂の脇に、
見事な枝ぶりの松がありました。


撮影: 2011年7月

本宗寺の本堂は、1968年(昭和43年)に不審火で
全焼し、1973年(昭和48年)に再建されています。

本宗寺には、驚くべきことに石川数正のお墓があります。
石川数正は古くからの家康の家臣で、懐刀とまで言われました。


撮影: 2011年7月

家康の許で多くの功績を挙げた数正ですが、家康と秀吉が
戦った小牧・長久手の戦いの後の1585年(天正13年)に
突如として秀吉の許へと出奔してしまいます。

秀吉が天下を握ると信濃国松本に領地を得、
あの松本城を築城しています。


松本城の登城記はこちらです。

そんな家康を裏切った石川数正が、家康のお膝元の
岡崎に葬られているのは、びっくりしたのですが、
石川数正が亡くなったのは1593年(文禄2年)。
この時、家康は江戸に移封した後で、岡崎には
秀吉子飼いの田中吉政が領地を与えられており、
そんな状況の変化で、石川数正も父祖の地に
戻る事が出来たのでしょう。

石川数正は、家康時代に土呂の地を治めていました。
そんな縁で土呂発祥の本宗寺に葬られたのでしょうか。

石川数正が築城した土呂城の登城記はこちらです。

石川数正のお墓の脇には、本宗寺の再興に
尽力した芳春院妙西尼のお墓もありました。


撮影: 2011年7月

石川数正のお墓も、芳春院妙西尼の
お墓も、ひっそりと佇んでいました。

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