豊岡には、室町時代の中期、応仁の乱の際の西軍の総大将・
その後、安土桃山時代に入り、織田信長が山名氏を滅ぼした後、
その後、豊岡の城主は何度も変わりますが、1597年(慶長2年)に
しかし、三代目の杉原重玄が1653年(承応2年)に17歳で亡くなると
豊岡城は標高49mの亀山の山頂に築かれました。
この縄張り図は、1668年(寛文8年)に京極氏が
この豊岡城には、2012年5月に登城しています。
豊岡城跡は、JR山陰本線豊岡駅の東、1km程です。
豊岡城址は、いまは神武山公園として整備されています。
麓から階段を上り、亀山の頂上部を目指しました。
途中に、浄水場の給水塔が見えています。
平坦な道を行くと、萩の丸跡に辿り着きました。
縄張り図をみると萩の丸は比較的小さな曲輪だったようです。
階段を昇り詰めるとと本丸です。
豊岡城の本丸の様子です。
当時、豊岡城に天守があったかどうか案内はありませんでした。
本丸からは、南側への視界が開けていました。
Toyooka Castle, Japan
登城日:
2012.05.01
山名宗全(持豊)が築いた木崎城と呼ばれる城があったそうです。
秀吉配下の宮部継潤が豊岡に入り、豊岡城を改修したそうです。
杉原長房が豊後・杵築から移封し、豊岡城主となりました。
江戸時代に入り、杉原長房は豊岡藩主となります。
後継ぎがいなかった為、杉原氏は改易となり、豊岡城も廃城となりました。
いくつも曲輪が横に連なる連郭式の縄張りです。
豊岡藩を立藩し、陣屋が置かれた後のものです。
縄張り図に、豊岡城の麓の「館」と書かれているのが、
陣屋と京極氏の屋敷の場所になります。
その時の様子を紹介します。
徒歩約15分程の距離です。
【豊岡城登城記】
豊岡陣屋跡の南側に、豊岡城址だった亀山があります。
撮影: 2012年5月
公園として"登城道"もしっかり整備されています。
撮影: 2012年5月
この先で、茂みの中に石碑がありました。
撮影: 2012年5月
撮影: 2012年5月
萩の丸跡からは、再び石段をのぼり山頂の本丸を目指しました。
撮影: 2023年1月
本丸に入って左手に天守台跡があります。
撮影: 2012年5月
かつては、物見櫓のような建物が建っていたのでしょうか。
撮影: 2023年1月
上の写真、左側の三角形の山は、有子山城です。
その手前の麓には出石の町と出石城がある筈です。
有子山の登城記は
こちらです:
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