中城城
Nakagusuku Castle, Japan


登城日:
2008. 07. 04







【中城城概要】


琉球は、有史以来統一王朝によって支配されてきましたが
14世紀に入ると、北山・中山・南山の3つの国に分かれたそうです。

その3つの国も、幾つもの按司(国王の分家)が
林立し、抗争を繰り返していたようです。


中城城は14世紀後半頃、先中城按司が西の郭、
南の郭そして一の郭、二の郭を築いたそうです。

その後、読谷山按司・護佐丸が、
北の郭と三の郭を完成させたようです。

護佐丸は恩納村にある山田城の城主を父とすし、
北山・今帰仁城攻略で名を上げ、座喜味城を築き、
その後、勝連城で勢力を伸ばす阿麻和利の抑えとして、
中山王の尚忠の命によって1440年に、
この中城城に移ったそうです。

今帰仁城の様子はこちらです。
座喜味城の様子はこちらです。
勝連城の様子はこちらです。



地図はこちらです→ Mapion


中城城は沖縄本島南部、
太平洋へと続く中城湾を
見下ろす高台にあります。

北には、勝連城のある与勝半島を望み、
南には知念崎に連なる知念半島を見下ろす
景勝の地に築かれています。




護佐丸は勝連城主・阿麻和利の讒言によって
中山王・尚泰久に討たれてしまいます。
1458年のことです。

その後、この中城城は王子の
居城として使われていたそうです。





中城城は、南西側に正門(大手門)を構え、
南の郭、一の郭、二の郭そして三の郭と
主要な曲輪が一列状に並んだ
連郭式の縄張りになっています。

その北側には西の郭、北の郭が控え
裏門へと続いています。

中城城のこれらの遺構はほぼ完全な形で残されています。
主郭の一の郭、二の郭そして三の郭は石垣で囲われ、
その優美さは目を見張るものがあります。

2008年7月4日に、この中城城を訪れました。
その時の様子を紹介します。



【中城城へのアクセス】


僕は、那覇空港でレンタカーを借りてしまいましたが、
那覇市内からバスのアクセスが可能です。

那覇バスターミナルから30番系統・
泡瀬営業所行きで中城小学校前下車。
バス停から中城城までは1.5〜2.0km程の距離です。

沖縄のバスマップはこちらです。
30番系統の路線図はこちらです。





【中城城登城記】



裏門 〜 北の郭 〜 三の郭
Oct. 24, '09

二の郭
Oct. 26, '09

一の郭〜南の郭 〜 正門
NEW ! Oct. 29, '09

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裏門 〜 北の郭 〜 三の郭


中城湾に沿って走る国道329号線を北上し、
中城村役場を過ぎたところで
海に臨む高台へと上っていくと中城城です。

駐車場脇で入場券を購入し、いよいよ中城城に入ります。
入場してすぐ左手の丘の中腹に、石垣が見えていました。



案内板によると、この左手奥に護佐丸の兄、
伊寿留按司のお墓があります。

藪の中に入ると、中城城へと続く丘陵地の
岩盤を掘り下げたところにお墓がありました。



伊寿留は、山田城の按司の長男ですが、
城主になるのを望まず、農業に励んだそうです。


そして入場券販売所から続く坂道を登って
中城城を目指しました。

中城城は沖縄が日本に返還された
1972年5月15日に国の史跡に指定され、
2000年12月2日には世界遺産にも指定されています。



世界遺産の記念碑が誇らしげに掲げられていました。

世界遺産の碑を過ぎると広々とした空き地があり、
その向こうに立派な石垣が見えてきました。



とてものびやかな光景で、お城というよりも
遺跡という雰囲気が漂っています。

広場の向こうに聳えているのは
三の郭を取り囲む石垣です。

聳えるような三の郭の石垣の右下に
アーチ状の屋根の付いた石垣で
囲まれた裏門がありました。



裏門の左手にある石垣は
櫓台のような堂々とした造りです。

石の積み方は相方積という積み方で
中城城の他の郭とは積み方が
異なっているそうです。

白っぽい色の石が積み重なっていますが、
この丘陵地の地盤の石灰岩が使われているのでしょうか。

それにしても、本州では「穴太(あのう)衆」と呼ばれる集団が
近畿地方のお城に石垣を築き始めたのが、
16世紀に入ってからと思いますが、その100年近く前に、
これだけの石垣を築く技術があったとは驚きです。

穴太衆の里、坂本の様子は
こちらです。


アーチ状の天井を持つ裏門は、
江戸時代末期にこの中城城を訪れた
ペリー一行にエジプト式と評したそうです。



小さく狭い裏門の向こうには
北の郭が見えていました。

裏門を抜け、すぐ右手にある櫓台の石垣です。



石垣は急勾配で積まれていて、
その技術の高さが伺われます。

狭い北の郭の内部です。
正面に見えるのが三の郭へと繋がる階段、
そしてその向こうの石垣は二の郭のものです。



北の郭からは、沖縄本島を隔てて
西側の東シナ海が見えていました。



写真手前に写っている石垣の下は
深いくぼ地になっていて、そこに
ウフガーと呼ばれる井戸がありました。



急な階段を下りて井戸まで行く事が出来るのですが
地底に吸い込まれてしまいそうな感じでした。


北の郭の井戸を訪れ、
いよいよ三の郭へと向かいました。



先ほど、裏門を抜けたときに見えた
二の郭のアザナ(物見台)の石垣が
目の前に迫り、圧倒されそうです。

階段を上ると、三の郭です。
三の郭は一辺が40〜50m程の広さでしょうか。



写真左が広場と三の郭の間に築かれた石垣、
写真右手が三の郭と二の郭の間の石垣で、
三の郭は、石垣に囲まれた窪地になっていました。

本州のお城だと、郭のレベルは
石垣と同じ高さになっているので、
こうした点も興味深いものがありました。

石垣には階段が取り付けられ、
兵士が石垣の上を移動する事が出来たようです。


三の郭を訪れた後、二の郭に向かいました。

三の郭と二の郭の間は、高い石垣で遮られ
直接に移動することは出来ません。



一旦、石段を下り北の丸へ降り、
北の丸の西側にある小さな門を
くぐって二の郭に向かいました。



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二の郭


北の郭の東側にある小さな門を抜け、
階段を上って、二の郭を目指しました。



この辺りは、古城の雰囲気が漂っています。
石垣の積み方は野面積のようでした。

二の郭を取り囲む石垣です。



緩やかな曲線を描く石垣です。
三の郭とは異なり、何層もの石が
積み重なったような布積で築かれています。


階段を上りきると、二の郭に出ました。
ここも石垣に周囲を囲まれた郭です。



郭の中央には大きな忠魂碑が立っていました。
二の郭の周囲の石垣には登ることが出来ました。



石垣は緩やかな曲線を描いています。

石垣の上部は2段になっていています。
郭側が一段低くなっていて、そこを
歩いて移動出来るようになっていました。


石垣の上からは中城湾の雄大な
景色を眺める事が出来ました。



海に突き出ている半島は知念半島です。
この日は暑くて湿度も高く、海面から
湿気が沸き立っているのが見えています。

石垣の上から二の郭の内側を眺めてみました。



三の郭よりも一回り大きな曲輪です。
奥に見える壁のような石垣は
一の郭との間を隔てる石垣です。

石垣の上から眺めた三の郭の様子です。



二の郭の石垣の上からは
三の郭や北の郭の様子を
手にとるように眺めることが出来ます。

三の郭の方向にある勝連城の備えとして
北の郭を通って攻め来る敵や
出口のない三の郭に入り込んだ敵を
二の郭から、容易に狙い撃つ事が出来そうです。

雨の降りそうな空模様でしたが、
石垣の上を歩くうちに青空ものぞいて来ました。

青空をバックに忠魂碑と石垣の様子です。




そして二の郭と一の郭を隔てる石垣です。



二の郭から一の郭へは、
石垣に設けられた門から
直接行き来が出来ました。



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一の郭〜南の郭 〜 正門


二の郭と一の郭の間の石垣の
門をくぐると、中城城で一番
高い位置にある一の郭に入ります。



また一の郭は中城城の曲輪の中で最も広く
3900平米の広さがあるそうです。

二の郭との間の石垣を
振り返ってみた様子です。



郭の東側は一段高くなっていて、
正殿跡の基盤のようです。

一の郭を取り囲む石垣の近くには
観月台がありました。



護佐丸が宴を開いたと伝わるそうです。

その観月台から眺めた中城湾と
その北東に伸びる与勝半島の様子です。



"とよむ中城 吉の浦のお月
 みかげ照りわたりて さびやねさみ"
と琉歌に歌われたのは、この観月台からの
眺めだったのでしょうか。

どんよりとした空模様に見えますが
7月の沖縄なので、サウナに入ったような
蒸し暑い天気で、お城巡りをしていても
汗が噴く出してきます。


そして、優美な曲線を描く一の郭の石垣です。



この曲線を描く石垣は、とても美しく
素晴らしいものだったと思います。

一の郭の中には2箇所程、拝所があります。



これか観月台の近くにあった拝所です。

奄美大島から沖縄にかけての「グスク」には
こうした拝所があり、戦の拠点としての「城」
だけではなく、人々の信仰の柱となる
場所だったという説もあるそうです。

この周囲の石垣は崩れ、
修復工事も進められていました。

一の郭の南西側の石垣です。



二の郭との境や、二の郭と三の郭との
境にある石垣よりも低く、古びた感じです。

南の郭へと続く門も小さなものでした。
この門をくぐると南の郭です。


門をくぐり、数段の階段を下り
南の郭に入りました。



南の郭には、草木が生い茂り、
石垣で囲われていた他の郭とは
まったく違った雰囲気です。

木々の間を抜けると、
左手にも拝所がありました。



「雨乞いの御嶽(ウタキ)」と案内表示がありました。
「御嶽」は神様の宿る場所と言われています。
雨が少ない年には、この場所に宿る神様に
雨乞いのお祈りをしていたのでしょう。

後ろに見える石垣は一の郭の石垣ですが、
この景色はお城の中という
雰囲気ではありませんでした。

「雨乞いの御嶽」の拝所から少し進んだ所には
久高遥拝所
(くだか うとぅし)がありました。



久高島は、知念半島の先にある島ですが
沖縄では神の島といわれています。
この場所に立つと、その久高島を
拝む事が出来るのでしょうか。

遥拝所は聖地なので、ここから
先に入る事は慎みました。

久高遥拝所の先には首里遥拝所もありました。



いくつもの拝所のある南の郭は、
中城城の聖域だったのでしょうか。


南の郭の中ほどに、北側に
降りる石段が続いていました。



この石段を降りると、
正門に辿り着きます。



右手には南の郭の高石垣が聳え、
二つの櫓台に挟まれた正門は立派な造りです。

この正門にはどの様な門が
築かれていたのでしょうか
想像が膨らみます。

正門を抜けて振り返って見た様子です。



中城城の立派な石碑も立っていました。


左手に空き地が広がっていました。
南国らしいソテツの向こうに
遠く、知念半島が見えています。



この空き地の先にはせり出した岩の下に
カンジャーガマという鍛冶屋跡がありました。

ここも遺跡のような雰囲気が漂っています。

このカンジャーガマはどういう目的で
鍛冶が行われていたのかは
判っていないそうです。


帰り際に、西の郭に立ち寄ってみようと思いましたが
発掘調査が行われ、立ち入り禁止になっていました。



西の郭には行けず残念でしたが
中城城は、それを補って余りある
素晴らしいお城で、大満足の登城でした。

中城城のすぐ近くに護佐丸のお墓があるのですが
その場所への道がわからずに、勝連城に向かいました。

勝連城の様子はこちらです。



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