わが街 岡崎 / 山中八幡宮
Yamanaka Hachimangu Shrine in my Hometown Okazaki








山中八幡宮は、藤川宿から東に向かい、
山間を過ぎて、右手に田圃が広がるあたりの
小高い山の上にある神社です。

山中八幡宮の地図はこちらです。


地図が見られない場合は
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山の麓の赤い鳥居が遠くからでも目に付き、
本宿に向かう途中に、急に立ち寄る事にしました。

藤川宿の様子はこちらです。
本宿の様子はこちらです。



この山中八幡宮の縁起はよくわかりませんが、
徳川家康が1558年(弘治4年)の
初陣の必勝祈願をしたそうです。

鳥居の奥には高さ21mの大クスノキがあり、
その奥に深い木々の間に階段が続いています。



階段の途中に井戸がありました。



昔、この杜の傷ついた山鳩が
この井戸で傷を治したことから
傷直しの井戸として多くの人が詣でたそうです。

急な階段で息が上がるころに
二の鳥居が見えてきました。



山の頂近くが平らに削られ、
そこが境内になっています。

この山中八幡宮を訪れたのは2月。
水盤の水に薄く氷が張っていました。



水盤の向こうには赤い本殿が建っていました。



本殿の奥の藪に獣道のような
下草を踏み分けたような道があり、
そこを歩いていくと、小さな
奥宮の祠がありました。




この山中八幡宮に立ち寄って知ったのですが、
家康の三河平定の過程で生じた三河一向一揆で、
一揆軍に追われた家康が、この山中八幡宮に逃げ込み、
窮地を脱したそうです。

一揆軍に追われて家康が
逃げ込んだのがこの洞窟です。



追っ手の一揆方が、家康の隠れている
この洞窟を探そうとしたところ、
洞窟から鳩が飛び立ったそうです。
「人のいるところに鳩がいる筈がない」
そう思い込んだ追っ手はこの場を去ったそうです。
洞窟は鳩ヶ窟と呼ばれ、葵の御紋の石柱で
囲われていました。

岡崎周辺には三河一向一揆にまつわる
史跡が何箇所かあるのですが、
この一揆で家康がこれ程の危機的な状態にまで
追い込まれた事があったとは思いませんでした。

三河一向一揆の史跡はこちらです:
本證寺 上宮寺 勝鬘寺 小豆坂古戦場


山を下り、本宿に向かう田舎道を振り返ると
常夜灯の向こう、山中八幡宮の丘の麓に
赤い鳥居がくっきりと見えていました。






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